よろず屋ダイアリー

世の中の理不尽さを愚痴ったものが多いです。

他人に興味がないというより、興味を持ってもすぐに忘れるだけだと思う


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 「誰もお前に興味なんてないから、気にせず堂々としてろ!」という言葉をよく耳にする。

 

 ほぼ事実なのだが、僕はどうもこの言葉が苦手である。興味がないなんて言いつつも、揚げ足取りや冷やかしは欠かさない人もいる。

 

 本当に興味がないなら、そういうことの一つもしないだろという話である。他人に一瞬でも構ってる時点で、その人に関心があるということではないかと思ってしまう。

 

 そしてそれを嫌がる人は一定数いる。どれだけ「他人はお前に興味ない!!」なんて言っても、僅かにでも関心を持たれてしまうことに耐えられなかったりするのだ。

 

 「他人はお前に興味ない!!」なんて言葉はどうも真に受けてはならない気がする。具体的には最初は興味津々ではあるが、いつかほぼ忘れてしまう。なので結果的に、人は周りの人に興味がないということになるだけだと思う。

 

 周りと浮いている自分に、少しでも関心を持たれてしまうのはあまり良い気分でないことの方が多い。相手にとっては、たまたま蝶々を発見した程度のことで、一瞬だけ興味は持ったとしてもすぐに忘れるだけの出来事に過ぎないのかもしれない。周りと浮いているからという理由で、万が一相手が攻撃してくるなら、自分が悪いのではなく、根から悪人気質である相手に原因があると思えばいい。少なくともそのことで自分を責める必要性はない。

 

 日本人だからこそ、自分の気になるものにはすぐさま目を向けたがる。良い言い方をすると好奇心旺盛かもしれないが、悪い言い方だと排他的な要素を孕んでいる。

年賀状の断捨離をする


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 突然だが、今までに貰った年賀状も廃棄することにした。僕の初めての年賀状は、小学1年からであった。それから2017年の今に至るまで、年賀状のやり取りを続けてきた。

 

 私事ではあるが、年賀状とはもう縁を切ることにした。といっても、他の友人に新年の挨拶をするときは、スマホで行うのが定番になったからだ。 

 

 僕自身、大晦日といういろいろ面倒臭い時期に年賀状なんて書きたくない。

 

 年賀状を貰えなかったと言う理由で、その人を変な目で見てくる人種もいるが、一体何だと言うのだろうか。新年の挨拶をするなら別に年賀状だけに固執する必要性はない。それに年賀状を出すということになると、相手方の住所も把握しなければならない。たとえ友人であれ、僕は自分の住所を別の人に開示するのは苦手である。

 

 もしかすると、お互いの住所を把握し合えるほどの関係性を証明するもの(年賀状)を使わなければ、新年の挨拶すらしてはいけないみたいな、そんなよく分からない決まりでもあるのだろうか。

 

 しかし人間関係上、年賀状を出さなければならない状況はあるかもしれない。はっきり言って年末くらいゆっくりさせて欲しい。しかもそれが職場の同僚や上司だと、どれだけ絶望的か想像に難くない。

 

 電子機器をろくに扱えない古い世代が年賀状を、逆にそれらを扱える若い世代がスマホで、新年の挨拶をすればいいんじゃないかと思う。年賀状だけでなく、年配の人たちのクソ古くて非効率的なやり方なんて模倣したくもない。こちとらそんな縛りプレイなんてお断りだ。

 

 Aとも年賀状のやり取りを続けていたが、当然ながら今は続けていない。僕自身、年賀状を書く気はないからなのと、お互いもう友人として関わる機会がないと思ったからだ。僕以上に忍耐力のあるAだ。他の場所でも上手くやっていけるに違いないだろう。

サイバー心気性に振り回されないために


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 ネットで病気のことを調べることで、あたかも「自分がその病気を発症しているのでは?」と不安に陥る現象を、サイバー心気性という。

 

 主にスマホを持つ若い世代の人たちが、この状態になっている気がする。少し体の一部が痛むなぁと思ったら即座に、手持ちのスマートフォンで検索してみる。

 

 

 例えば「頭痛い」と検索するだけで、

 

・脳腫瘍

くも膜下出血

脳梗塞

 

と明らかに不安を煽るような内容のものばかりがヒットする。

 

 

 体の一部が痛むとき、僕もよくネットで検索するのだが、余計に怖くなってしまうだけだった。

 

 そういった病気に関する煽り記事の中に、「人によっては発症する!」とか「ごくわずかですが死ぬ人もいます!!」みたいな書き方をしているものがある。

 

 病気について検索するときは大抵の場合、不安な状況に陥ってるときが多い。そんな煽り記事はそのポイントを狙ったものばかりだ。

 

 

 病気について不安なところがあるから検索する。そしていろんな怖い記事が出てくる。その恐怖を払拭するため、さらに検索を進める。その結果、検索前よりも恐怖に駆られてしまった自分がいる。多くの人はきっとこのパターンに違いないだろう。

 

 多少不安なところがあっても、ネットでは検索しない。誰かに相談したりすることで、不安な気持ちを少しでも吐き出すのが効率的かもしれない。

 

 億が一、重病だったとしても、そのときまで恐怖で立ち止まることなく動けたのなら、そんな自分を褒めてやりたいと思う。

友だちの必要性

 

 
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 友だちは大事だと思ってはいるが、だからと言って一生関わり続けるものではない。

 

 そもそも人生において、友だちとはそんなに重要なものだろうか?

 例えば学生なら一緒に遊んだり、宿題を見せてもらったりする程度が妥当だと思っている。中には一緒に旅行にも行ったりするが、大抵は終始グダグダになる(経験談)。

 

 もちろん悩みを聴いてくれたり、ときには何かしら助けになることもある。しかしあくまで、それらが小規模だったらの話である。

 

 大きなもの(家庭問題や借金等)になると、何の効力も発揮しない。人によっては、友人と相談することで気休めにはなるかもしれない。そして友人に頼った分だけ、その友人の負担が増えてしまう。

 

 借りなんて返さず、利用できるだけ利用すればいいと割り切るか、受けた借りは必ず返すかで付き合い方は大きく異なる。

 

 

 前者の場合は、向こうから縁を切られてしまうだろう。それまで相手から搾取し続けるのは各々の勝手ではあるが、それはむしろ依存に近い。

 

 そして後者は、持ちつ持たれつという関係が理想的ではあるが、そう上手くいくことは少ないだろう。それ以前に借りなんて作りたくないと思った時点で、付き合いがどうしても浅いものになってしまいがちだ。結局は自分に何かあったとき、相手にあまり迷惑を掛けたくないと思っているがために、自然と縁が切れていく。

 

 

 少なくとも、友人関係を強制された高校を卒業した段階で、友だちの必要性というのはどうしても薄れてしまう。友人付き合いもまた、表面上だけのものになってしまうことが多い。

 

 しかしだからと言って、孤立無援になれば良いわけではない。友だちでなくても、人との繋がり自体は大事だと思っている。そのあたりを見極める力は是非とも養うべきである。

 

 

 友だちの中には、どうしても嫌な人というのはいる。そんな嫌な人を上手く回避したりするのが、社会でやっていくのに必要なスキルだが、僕の友人のAはこの意見に賛成派の人間だった。僕がBと揉め事を起こす度に、Aはそういうことを毎回言っていた。

 Aの言うことは正論ではあるかもしれないが、そもそも本来楽しいはずの友だち付き合いを終始修行の一貫だったなんて言いたくなかった。

 

 ABと縁を切って、心身ともに健康的になれたのは、今まで彼らと関わってとても負担になっていた証なのだと思う。彼らは何の連絡もなしに、急に僕の自宅を訪問してくることが度々あった。なによりそれが一番恐怖だったのだ。

 

 僕にもっと自信があれば、2人ともっと早く縁を切れていたに違いない。関わりすぎだとか、関わる相手が悪かったという意見もあると思うが、それでも僕に友人という存在はあまり必要なものではないと思う。

スマブラXの思い出

 「大乱闘スマッシュブラザーズX」の対戦ゲームを何度も友だちとしたことがある。

 

大乱闘スマッシュブラザーズX

大乱闘スマッシュブラザーズX

 

 

 僕がまだAとBと遊んでいた頃、このゲームを数時間以上プレイするのはザラだった。当時はBとは反りが合わないながらも、それなりに楽しく過ごすことができた。

 

 しかしあるときに、アイテムなし・ステージは終点Only・ピカ厨の、スマブラ三大凶悪事案が僕の元友人の間でも発生した。僕の主張にも一切耳を貸さず、二人はその凶悪なルールの中で楽しみ始めた。

 

 スマブラには一定時間が経過すると、空からアイテムが降ってくる。そのアイテムで形勢逆転したりもできるが、特にスマブラXの場合は爆弾系のアイテムの数が多すぎるので、何かの拍子に爆発し、そのままKOとなってしまう。

 僕はスマブラXのアイテムに関して言えば、少しばかりそういった不満はあった。なのでオプションで、そんな理不尽なアイテムは出現しないように設定したりもした。

 確かに理不尽なアイテムが増えたのは事実だが、何もかも全く出現しなくするのも少し悲しい。

 

 ステージだが、アイテムと同じく変なステージもいっぱい増えた。正確に言うと変なギミックがたくさん搭載されたステージがいっぱい増えた。特に酷かったのは、即死および大ダメージだった。普通に戦っていても、そのギミックに触れるだけで即座にKOとなる。プレイヤーのやる気が削がれるのも最もで、オプションで変なステージを選択できなくする気持ちは理解できるが、そういった人たちの中には、何故かそこで「もう終点以外のステージは認めない!!」と極端な発想をする人もいる。他にも普通のステージはあるにも関わらず…だ。

 

 ピカ厨というのは、対戦時にピカチュウを使うとき、ほぼB技のでんげき・B+↓技のかみなり・下スマッシュ技のねずみはなびのみを使うプレイヤーを指す。そういう人は大抵終点厨でもあるので、離れた場所からでんげき攻撃し、近づいてくるならかみなりやねずみはなびをお見舞いする。

 よほど使い勝手が良いのか、誰もがこの戦術を取る。そしてそのキャラで勝利したとき、我が物顔で「オレは強いんだぜ!?」と僕に執拗にアピールしてくる。それが嫌で堪らなかった。

 因みに僕は主に空中攻撃を多用するので、ピカ厨では断じてありません。むしろ電気攻撃縛りで対戦したいくらいだ(少し無理があるか…)。

 

 おかげでスマブラXにおいて、ピカチュウが苦手なキャラとなってしまった。おそらく次回作では弱体化しているだろう。Xのピカチュウはいくらなんでも強すぎる…。

 

 

 

 結局僕にとってスマブラXは、ただのストリートファイターと化してしまった。そんなスマブラに対する楽しみは次第に薄れていった。そんな連中とプレイしていても何の楽しみも湧かなくなってしまい、いつしか僕は二人とゲームをするのを止めた(因みに他の人と、三大凶悪要素なしでプレイしたら滅茶苦茶面白かったです)。

 

 他のゲームも検討したが、スマブラであれだけ特定のルールに固執する人たちなので、きっと別のソフトでも結果は同じだろうと思うようになった。変な縛りプレイとか課してきたりするのはもう見え見えである。

 

 友だちとゲームするとき、変なルールを押し付けてくる人や、そのルールに過度に同調する人とは距離を置いた方がいい。Aのように、日常生活でも己の価値観を押し付けてきたりするからだ。

 

 やはりゲームは気の合う人たちとプレイ、それか一人でプレイするのが一番だと思ってる。

 

 

 

 スマブラXの次回作には、終点のようなステージがたくさんあるらしい「え、お前何言ってんだ!!??オレ終点以外のステージもちゃんと選んでるぞ!!!!?」と、終点しか選ばないプレイヤーを完全に擁護しているようにしか見えない。任天堂も結局は終点厨の肩を持つ結果になってしまったわけだ。僕は非常に残念に思った。

僕が断捨離する理由

 
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 ものを断捨離し始めたのはつい最近のことである。特に大した理由はなかったものの、卒アルを廃棄するなど、かなり突き詰めることができたのだと自負している。

 

 地震でいろんなものが破壊されていく光景が頭に浮かんだというのも、理由の一つとしてある。最初から持たなければ、その恐怖をある程度抑えることができると思ったからである。いざとなれば、スマホと他の貴重品だけ持って逃げることができる。

 

 それとただ単にものに興味がなかったというのもある。例えば漫画や、アニメキャラのフィギュアおよびクリアファイルなど、僕にとってどれも特に使い道のないただの観賞用のアイテムばかりだ。

 

 漫画に関してはマンガ喫茶やネットカフェに読みに行けばいいだけの話だし、部屋に飾るだけでそれ以外に何の使い道もないものは邪魔でしかないし、気が付けば埃を被っていたり、日光で変色していたりするのもザラなので、最初から持たない方がいいと思った。

 

 僕は人間というのは元々、せいぜい一冬を乗り越える程度の備蓄しかできない生き物だと思っている。それに本来であれば、動物はものを所持したまま一生を過ごすなんてことはない。

 

 ものを持つと何かしら縛られたりする。僕にとって身軽さというのは、心身の健康からだけでなく、人間関係などのしがらみのなさからもあると思っている。

 

 どれだけ体を休めても、それらのしがらみがあれば本当の意味での安息はない。仮に距離を置いたとしても、いつかは向かい合わなきゃいけないときもある。僕がAやBと縁を切ったときのように。

 

 

 断捨離を行き詰めた先にあるのは、自殺だと思っている。流石にそこまでは行動を移せないと思うが、自分の命も軽い気持ちでポイと捨てられると思えるなら、かなり気が楽になるに違いないだろう。少なくとも、死ぬことに常時ビクビクして行動できないのであればの話だが。

ストレス耐性力なんて最初から固定値が決まってる

 
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 徐々にストレスを与えていけば、次第にそれに慣れていき、心身ともに強い人間になれるなんてよく言われているが、全員がそれを実践できるなんてまずありえないと思う。

 

 そもそもストレスを与えられて、結果的に強くなれる人間なんていない。そういう人は元々強い人間で、外部からの刺激等によってその本質が表面化したにすぎないと思ってる。むしろストレスによって、精神的にさらに弱くなったり、トラウマにもなってしまう人たちの方が多いように思う。

 

 

 そういった一部の強者が何かしらの権利を持つと、僕たち弱者は何も手出しできないのである。まさに弱肉強食である。

 

 

 僕の友人Aも本質的な部分において強かったのだと思う。完全に僕とは正反対である。縁が切れるのも確かなのかもしれない。

 

 「ストレスを与えれば強くなれる!!」なんて言う人は、自分が周りの人間からそうされたように、自分の子どもや弱い立場の人間に対してもそれを強いるんだろうと思う。

 

 要するにその人の性格的な問題なのかもしれないが、そういう人に限って強い力を持っていたりするのが非常に腹立たしい。

 

 もしかするとAもいずれはああなるのかもしれない。…というかほぼ確実になってしまうと思う。

 

 合わない人からはさっさと逃げるべきなのだが、家族や同僚となると話は難しいし、その後のフォローも全て自分で行わなければならない。なので「こいつと関わってて生きるエネルギーを削ぎ落とされるくらいなら!!」という気持ちで挑まなければならない。

 

 

 ストレスの耐久力なんて最初から値が決まってる。上がったように見えるのは、経験や慣れでその人の本質的なストレス耐久値が表面化するだけだ。それをRPGのレベル上げと同じように扱う人たちが多いのか、鞭撃てば撃つほど、その耐久力が増していくと勘違いしている。

 

 そういう人たちには、是非ともアレルギー性のものを摂取して頂きたい。何、少しずつ少しずつ摂取していけばアレルギーも徐々に緩和されていくだろう!

 

 ストレスの耐久力なんて生まれつき決まってる。その範囲内で行動するべきだ。それを無理矢理引き伸ばしたりしてくるような人たちは突き放そう。その反動で後遺症が残ってしまうよりはマシな人生を遅れるはずだから。