よろず屋ダイアリー

世の中の理不尽さを愚痴ったものが多いです。

中途半端に適性があるから、人はそれに執着してしまう


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 人が何かに執着してしまうのは、それに対して期待しているものがあるからだと僕は考えている。

 

執着するきっかけとは

 例えば数学のテストにて、どれだけやっても赤点しか取れない生徒と、頑張ればそこそこできる生徒がいたとする。そして将来、両者は数学教師になりたいなぁと思っているとする。

 

 前者はどう見ても、明らかに適性がないと判断することができるだろう。したがって前者は夢を早々に諦めて、別の進路を模索し始める。

 

 しかし後者の場合、客観的に見ても可能性があるため、応援したり励ましたりする人も出てくるだろう。すると夢を叶えるために後者は努力を継続することになる。そしていつしか、何度も壁にぶち当たっている自分がいることに気付いたりもする。

 

 

 結局、後者が自分に適性がないと知るのはずっと後になってからということになる。

 

 

 後者が夢を叶えられたか叶えられなかったについては、個々によって意見が別れると思うが、どちらにしろ適性のなさという障害が後者には出てきてしまったため、すんなりと諦められた前者よりも苦悩する結果となるだろう(必ずしも前者が後者よりも幸せに生きれることを保障しているわけではないが…)。

 

 

 もちろん後者が後々挫折を味わうというのはあくまで一例ではあるが、上述したような事態になり得るケースもある。

 

 

 能力はあっても決して過信しないこと

 「適性はある!努力すれば夢を叶えられるんだ!!」という思い込みはある意味非常に危険である。

 

 実は後になって向いていませんでしたという結果になってしまえば、ショックのあまり立ち直れなくなるだろう。

 

 「まぁ人並み以上にはできるけど、この分野とあの分野だけはちょっとなぁ…。それにあまり労力割いてでもできるようになりたいとは思わないかなぁ。」程度に認識し、必死にならないことが大事である。

 

 

 僕も英語に執着してしまい、結果的に勉強のやり方も同じところの反復になってしまい、それに費やした時間はほぼ無駄に終わってしまった。…だが気付けただけまだマシな方かもしれない。

 

 

 自分に自慢できるものが何もない人が、一つの能力を手に入れると固執の道を突き進むことになるかもしれない。

 

 周りよりもケタ違いに能力が高いからといっても、自分にとって本当に適性があるかまでは分からないのである。あまり自覚していないものが適性であったりもするので、そのあたりにも意識を傾けるべきである。