よろず屋ダイアリー

世の中の理不尽さを愚痴ったものが多いです。

人に言われても自分で実感しないと意味がない

 
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 人に褒められて喜ぶ人もいれば、逆に嬉しいと思わない人もいる。褒めて欲しいポイントがズレていたり、褒めているかと思ったら実は煽てているだけだったりもする。

 

 中高生時代の僕は、英語に執着しているだけの自信のない学生だった。面談等の際、自信のない僕を励ましてくれる教師は何人かいた。

 しかし僕はその人たちから励まされても全く自信が湧いてこなかった。あとから湧いてくるのを期待していたが、それは期待外れに終わった。僕を励ましてくれた教師たちは、実は僕のことを煽ていただけだったのだと思い込んだ。

 

 英語に関しては当時成績が良かったので、流石に評価されはしたものの、それ以外ではむしろ心配される事柄の方が多かった。 そもそも励まされたとしても、その分心配されたら意味ないと思う。欠点だけ指摘して、あとは適当に見守ってくれた方が僕には気楽に思えた。

 

 

 友人や知人からも何度か褒められた経験がある。

 

 

 友人の場合は、僕が努力した結果の一部分だけしか評価してくれなかったことがある。作品を作り上げて、それを外部に委託して、商品として売れる状態にまでプロセスを築いてきた。

 作品の完成以降に行うこれらの作業もなかなか大変だったにも関わらず、僕の友人は作品が完成したことだけしか褒めてくれなかった。

 人によっては完成以降の仕事なんてどうでもいいかもしれない。しかし僕にとっては、懸命に作り上げたものを販売できる状態にしたところまで評価して欲しかったのだ。

 

 

 知人の場合も、友人と同じく作品のみの評価だった。作品については高評価だったのだが、何となく表面上だけの評価(すごーい!おもしろーい!)という感じで、その具体的な説明が欠けているように思えた。だからと言ってそれがお世辞とも思えなかったし、僕は素直に礼を言った。

 子どもが気に入ったアニメや漫画を「これ面白い!え、来週どうなるの!?」といった期待感が特にあったわけではなく、今思うと、知人は僕の作品に関してはほぼ無関心だったのかもしれない。あまり関係ないかもしれないが、知人は僕と同じく自信のない方だったので、もしかすると自信のない人からはどれだけ褒められても無駄なのではと思った。

 

 

 人から褒められても、必ずしも嬉しいと思うとは限らない。煽てていたとかならともかく、評価して欲しいポイントがズレていたり、そもそもその人のやる事について無関心だったり。あとは自信のない人から評価されるというのも一理あるかもしれない。

 

 しかし最終的には、自分で自分を褒めてやることが何より大事であり、そのために、周りからの声もある程度は必要なのではないかと思う。