よろず屋ダイアリー

世の中の理不尽さを愚痴ったものが多いです。

中途半端な適性なんて最初からない方がマシだ


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 僕には他人に対して、何一つ誇れるものがない人間だと思っている。

 

 決して能力がないわけではない。人によっては、僕の能力を評価してくれるかもしれない。しかしそれでも、僕は他人に対して能力を自慢したくない。

 

 趣味についても、人によっては一定のレベルまで求められたりするので、そういう人にうっかり趣味について話してしまうと、後々面倒臭いことに繋がるのは言うまでもない。

 

 しかしそれが主な理由というわけではない。ただ他のすごい人と比べて、自分の能力が劣っていると感じただけの話なのだ。だからこそ周囲の人に対して、積極的に能力を誇示したいとは思わないのだ。

 

 

 僕は英語は学生時代のときから優秀だとされてきたが、実際のところ、せいぜい英文法が少し得意だっただけであり、リスニングや英作文なんてほとんどダメダメだった。

 

 英検を取得しても、苦手な部分がある限り、周りに誇示できるほど強い能力にはならなかった。

 

 さらに悪いことには、僕はその英語に固執してしまったのだ。英文法だけは得意なんだと自分に言い聞かせ、本来必要となるであろうリスニング、英作文の勉強を全て放棄する結果となった。

 英文法という一点だけを見れば、それを他人にも自慢できるのではと思われるだろうが、当時の僕は、英文法を忘れたくないという執念の塊だったので、人と絡んでる暇もなかった。

 

 今思えば、強迫性障害と疑わざるを得ないほど重症だったのかもしれない。それに、英文法は得意であっても、外国人と 話すことはほとんどできないし、話す仕事に就きたいとも思っていなかった。教師の道も一度は検討したことはあるものの、いろんな側面から頓挫してしまった。

 

 この一連でも経験できてある意味良かったのかもしれないが、感謝はしないだろう。そもそもこんな中途半端な結果に終わると分かっていたら、もっと別のことに力を注ぎたかったものだ。引きこもりがちだったので、アウトドアにもっと目を向けるべきだったのかもしれない。

 

 

 自分の能力がどれほどのものなのか比較する必要性はあると思う。他者と比較しない生き方は素晴らしいかもしれないが、井の中の蛙のままではいずれ腐り果てるだけだろう。悲観的にならない程度に比較するべきである。

 

 

 ちなみに僕の英語に関しては、自分より下の連中とだけ比較していただけであり、この時点で能力を向上させるという意図が皆無であった。 

 上を目指すことなく、下を見つめて笑うことで、自らのアイデンティティーを保持していただけの小心者だったなぁとしみじみ思う。

 

 中途半端な結果にならないためには、まずは他者(自分よりも上の存在)との比較が大事で、能力を伸ばそうと思う意思がやはり必要である。

 

 あまり言いたくないが、何事にも意思力というのは大事なんだなと思う。