よろず屋ダイアリー

元不登校・HSP・ASD疑惑マンの思考回路

心配する=信用してないということ


f:id:kamigami000bond:20171002081903j:image

 人を心配するのはどんなときなのか。病み上がりの人に対して「お…お前、大丈夫なのか!?」「無理しない方が良いんじゃない?」と言うと、一見するとその相手を気遣っているように見える。しかしそれは、相手の体調を信用していないと言っているようにも聞こえてしまう。

 

 他にも、「あなたの成績じゃ心配よ…。もっと志望校のレベルを下げたら?」とか「えぇ!!お前がそれやんの!?何だかなぁ…!」など、心配するというのはつまり、「あなたのことを信用していません!」と言っているにほとんど等しい。

 

 言った側にその自覚はない。言われている側だが、気にしない人もいるだろう。僕は昔から人からそんな心配をされる度に、「あぁ、この人も僕を信用していないのか…。」と無意識ながら思っていた。

 

 

誰もが自分の見栄えを気にし、「心配」という言葉で相手の自尊心を奪う

 ダイレクトに信用していませんと言えば済む話なのに、「心配」という言葉のオブラートを使っている。いかにもあなたのことを思っているのよという、言った側の立場を少しでも良くしようというオーラがある。それが誤解を生むことだって当然ある。言われた側が、言った側が自分のことを考えてくれているという誤解を。その誤解のせいで、知らず知らずに自尊心を奪われ、相手に洗脳されてしまうのだ。

 

 例えば「バカ」を「少し経験が不足しているだけ」と表現するのと同じで、言い方を綺麗にしたところで本質は何も変わらない。言った側は言葉を変えているだけで、その相手に負の烙印を押している。

 

 

信用していないとかいちいちマイナスの言葉を掛けてこないで欲しいんだがな…

 心配されるくらいなら放って置いて欲しい。むしろその方が力も発揮できるし、他人のほとんど余計な情報に振り回されなくて済むのだから。必要だと思う情報は自らの手で掴みたい。

 それでも無理ならまだ納得できる。でも人からあーだこーだ言われると、それだけで労力を消費する。しかも相手は100%気付かない。

 

 言われた側の能力にも非がないわけではない。僕の場合はあったが、だからと言って信用していないと責め続けられなければならないのだろうか。これだと正論を武器にする人と同じ発想だ。

 

 能力がないから信用しない。赤の他人同士ならまだ分かる。しかし身内でそれをされると流石にキツい。四方の壁に行く手を阻まれる感覚だ。

 

 

お前の成功はオレのもの。お前の失敗はお前のもの。

 それでいて、信用していないと言った側の主張がこれだ。「心配しているとは言ったが、実力行使でお前の動きを止めたわけではない。オレなりにそう思ったから言っただけで、そんなものはお前が取捨選択すれば良かっただけの話だ!」と。身勝手極まりない。

 

 誘導したいのだ。自分の思惑通りに。まさしく「お前の成功はオレのもの。お前の失敗はお前のもの。」思考である。頼んでもいないのに勝手に横槍を入れてくる人間は全員そうである。

 

 

心配するのが目的である人には何をやっても無駄

 どれほど能力を身に付けようが、絶対に信用してくれない人はたくさんいる。そんな強固な意思を変えるのに労力を費やすくらいなら、自分を肯定してくれる新しい人を探したい。

  その方が手っ取り早いし、何より圧倒的に楽である。他人は相手の自尊心を奪いこそすれ、養うことは決してできない。かつては僕の周りにも、僕のことを褒めてくれる人は何人かいたが、結局それによって自信が湧いてくるなんてことはなかった。むしろ心配されている気がした分、自信が喪失した。

 

 極論かもしれないが、全て自分一人だけで物事をこなし成功する。これ以外に自尊心を養う方法はない。小さなことでも自分で自分を褒めるというのもあるが、結局は気休めだ。しかしその気休めも、目標を達成する上で必要になるとは思う。そして相手の助けが必要な場合は借りに行く。相手からの誘いには乗らない。

 

 周りが褒めくれるのが同情からなのか、それとも尊敬からか。それを見極めるのも自尊心を育む上で重要だ。