よろず屋ダイアリー

健常者もどきの20代♂による雑記

「やってもいいこと」と「やりたいこと」は根本的に違う


f:id:kamigami000bond:20171109102236j:image

 「やってもいいこと」と「やりたいこと」を履き違える人って結構多いと思う。

 

 学生時代のときから将来やりたいことを求められる。しかし大抵の場合、やりたいことと言われても何も思い付かない。思い付くには思い付くが、明らかに現実離れした内容のもの(世界征服、完全犯罪等)が多い。

 

 通学ぐらいしかすることのない、ほとんどの学生たちがやりたいことを求められても正直答えようがない。なので「将来これだったらやってもいいかな?」と思えるものを、「やりたいこと」として無理やり認識させられてしまうことになる。

 「やりたいこと」をする学生なんてクラスに1人でもいたらレアケースだと思う。かつて僕のクラスにもいたが、全身全霊で夢に向かって努力していた。その子は「やりたいこと」を「やってもいいこと」と履き違えていなかった。 

 

 結局やりたいことなんて見当たらないから、仕方なくやってもいいと思えることを主張する。そうすると教師は、「やってもいいこと」=「やりたいこと」として話を進み始める。何勘違いしているんだこのクソ教師と心の底から思っていた。

 

 

「やってもいいこと」と「やりたいこと」の意味の違い

「やってもいいこと」と「やりたいこと」というのは、明らかに意味が異なる。例えば、駅で電車を待っていたとき、その電車が10分遅延するとしよう。

 

 「そうか、遅延かぁ(T^T)10分だったら待ってもいいかな?」

 「私は10分間待ちたいんです!」

 

 見ての通り、圧倒的に意味が違うだろう。「黙認」と「無視」もまた然りである。何故か僕たちは、この「やってもいいこと」を世間が無責任に主張する「やりたいこと」として貫かなければならない。あまりに理不尽すぎる話だ。

 

 

教師は生徒に「やりたいこと」を押し付けすぎる

 教師というのは、もうそれ自体が「やりたいこと」の1つである。それを実現できた多くの人が、生徒に対して熱血的になる(自分ができたんだからお前もできる的な)。そういう人たちが、やりたいことが何もない人間の気持ちを理解するのは到底不可能である。

 

 結局のところ、「やってもいいこと」というのは、「やりたいこと」として曲解されてしまう。

 

 

僕の英語は別に「やりたいこと」ではなかった

 僕の英語の場合は、確かに「やりたいこと」ではあったものの、通訳とか翻訳家になりたいわけでもなかった。読み書きのみだったが、それなりに適正があったから伸ばしたいと思ったのと、それを周りに誇示したかったというのが理由である。

 別に外国人とおしゃべりを楽しみたいとか、外国の文化を知りたいとか思っていたわけではない。他に特技がなかったから、中途半端に英語に執着していただけである。

 

 

「やってもいいこと」と「やりたいこと」をごっちゃにするな

 本当に 「やりたいこと」をしている人間は、明確な将来像を持っていたりする。一方で僕を含めた「やってもいいこと」をしている人間には、残念ながら何もありはしないのだ。

 だが別にそれでもいいと僕は思っている。「やってもいいこと」を「やりたいこと」として誤認させられる方が最悪だ。それだと僕がかつて英語に執着したのと同じように、自分を見失うだけである。

 

 まず「やりたいこと」がない自分を受け入れることが大事である。そうすれば自ずと期待するものがなくなっていく。

 

 

「やりたいこと」はいわば1つの執着心の表れでもある

 本当に「やりたいこと」をして、失敗したときはかなり落ち込む。しかしやらなかった後悔よりも、やった後悔の方が、プラスマイナスに関わらずいっそのこと清々しいだろう。

 「やってもいいこと」なら、そもそも最初からそれに期待なんてしない。失敗しても「まぁこの程度かぁ(´・ω・`)」とそれなりに楽観視できる。逆に少しでも期待すると「自分はこんなこともできないのか」と悲観してしまうだろう。

 

 あまりに適当すぎるのは駄目だが、自分でもそれなりにやっているという自覚があるならそれでいいと思う(それでも「誠意がない」とか「やる気がない」と怒鳴る人もいるだろうが、スルースキルで乗り切りたい)。

 

 大半の人は、「やってもいいこと」を「やりたいこと」にしようと躍起になっているんだと思う。そういう状況下でも頑張れる人はいるが、全員がそうというわけでもない。無理だったとしても、そんな自分を責める行為だけでも止めておくべきだと思う。僕もそうだが、「やりたいこと」はあった方が得なのは明らかだ。むしろ命を懸けたり必死になったりしなくて済むのなら、別になくても構わない。

 

 

まとめ

・周りの圧力のせいで、「やりたいこと」と「やってもいいこと」をごっちゃに考える人が多いと思う。

・大半の教師は、「やりたいこと」とやらをすでに実現している。それ自体が夢だからだ。そんな人たちが「やりたいこと」のない人の気持ちを理解するのは不可能。

・僕の英語は、ただ周りに自分の能力を誇示したいだけのもの。それができるのなら、数学だろうが体育でも構わない。必ずしも英語である必要性はない。

・「やりたいこと」と「やってもいいこと」はまるで異なるので、その部分を誤認している人は要注意。

・「やりたいこと」がない方が、物事の執着心をなくせたりできるので、むしろ楽なのではないだろうか。

 

 

 いくらなんでも「やりたいこと」「やりたいこと」と世間は騒がしすぎる。「やりたいこと」とやらがない人がそんなに醜いか?むしろ「やってもいいこと」と「やりたいこと」をごちゃまぜにする方が僕にとって「やりたくないこと」だ。

 あと夢という幻想に付け込んで、過重労働を課してくる人たちに仕えることこそ、誰にとっても「やりたくないこと」だろ。