よろず屋ダイアリー

元不登校・HSP・ASD疑惑マンの思考回路

人を否定する言葉を別の言葉で置き換える論


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 いつも通り、何が言いたいのか伝わりづらい記事だが、今回はさらに伝わりにくい内容になってしまったと思う。他にネタが思い浮かばなかったのでとりあえず書いておく。

 

 他人を批判するということは、遠回しに自分自身をも批判しているということである。例えば相手の容姿について、醜いとかキモいとか叩いてくる連中は大抵の場合、自分たちも自身の容姿に何かしらコンプレックスを持っていたりするものだ。相手の粗探しをするくらいなら、自分に何かしら投資した方が良いのは当然である。

 

 しかしそれだけでは、その「相手を批判する」という性質は改善しないだろう。いざ批判したいであろう相手に向き合ったとき、頭の中で相手に対して余計なことが浮かんでしまう。そういうときの対処法だが、僕の場合は言葉を変える。まず例を出してみるとする。

 

 

例①

 街で好き勝手に暴れる不良グループを見かけたとする。コンビニを占拠し、店に出入りする他の客に絡んだりしてやりたい放題である。普通の人なら「早く補導されちまえやこのクズ共が…!」とか「うわぁ、コンビニに野生の猿が群れ成してる…。」なんて思うだろう。

 

 正論ではあるだろうが、これらは見た感じ相手を否定するセリフでもある。不良グループをクズや野生の猿と蔑むのは、自分たちの方が彼(彼女)らよりも学力・常識・身分的にも上だと思っているor実際に上だからである。それをハッキリと決めつけて思い込むというのは、相手を批判するだけでなく、ついでに相手の余計な粗探しもすることになってしまう。

 

 

例②

「不良の分際で何息してんだよ。1秒でも早く〇ねやこの社会悪。」

 

「公共の場で最低限の態度も慎めないとは、きっとご両親は学歴も何もないケダモノ野郎ってか。そんなケダモノの交尾で産まれたこいつらもまたケダモノ。負の連鎖の繰り返しだ。誰か早くこいつらケダモノの生殖器官摘出してくれねーかな。こんなケダモノ共に人権なんかいらんだろ。」

 

 極端かもだが、実際に相手を批判したい気持ちに駆られると、無意識ながらもそう思ってしまうものだ。ここまで考えてしまうと、何かあったとき自分自身をも強く否定してしまうことになる。

 

 そんなとき僕は言葉を変える。例えば…

 

 

例③

「公衆の場でも騒いだり奇声を発する迷惑行為」→「現代人が難しいとされる、ありのままの自分を晒し生きること

 

みたいな要領で。

 

 少しでも言葉を変えるだけで、その後に続く言葉も自然と変わってくる。

 

 

例④

「うわ、クレーマーかよ…。しかも内容が店のサービスに全く関係ないじゃん…(困惑)ろくな人間じゃねぇな。早く淘汰されろや。どうかこいつらの人権が剥奪されますように~。」

 

「大して面識のない相手にも、しっかりと自分の意思を伝えるコミュニケーション能力って素晴らしい。それにしっかりと自己PR(意味深)もできるなんて、その度胸と根性を見習わなければ(`・ω・´)キリッ」

 

 コツを掴めば、むしろ肯定的に捉えられるのではないだろうか。もちろん無理にとは言わない。言い方を変えるだけで、印象を変えられるというのは真理である。他にも料理で例えると「薄い味」や「濃い味」→「優しい味」、「力強さ溢れる味」といった感じである。

 

 どんなに批判したいと思う相手でも、斜め上からなら意外と評価できたりするものだ。「バカ」→「純粋無垢」もそうだし、「偉そう」→「自信家」や「批判家」→「自己・他者の分析能力に長けている人」という言い換えも悪くない。

 

 

しかし実際は思ったよりも効果がない(当たり前か)…

 実際に僕は、不良グループやアクティブ型の重度知的障がい者等が、街で暴れているのを目撃したとき、「こんな閉塞的な世界でありのままに生きれるなんて、彼(彼女)らの不屈な精神力ってすごい…(*゚-゚)」と少なからず思えるようになってきている。

 

 ただこの方法も所詮は付け焼き刃に過ぎず、元友人Bみたいたに立て続けに人を否定し続けるような人種にはほとんど通用しないと考えている。1度や2度程度しかこの「人を否定する言葉を別の言葉で置き換える論(自称)」は使えず、所詮はその場凌ぎの思考なのである。しかし実際に試してみる価値ならあるのではないだろうか。

 

 

まとめ

 言葉を言い換えるというのは、いろんな場面で役に立つ。この記事では相手を批判することで、自分自身を批判してしまうのを防ぐために、言葉の言い換えについて書いたのだが、僕自身書いてていろんな気付きが得られたと思う。

 「鶏肉」を「鶏の死骸」と言ったり、「赤ちゃん」を「親のエゴの塊」「神から授かった命」、「熟女」→「BBA」など、言葉によっては印象を大きく変えてしまうものもあるから、そこに面白みを感じることができて良かったと思う。