よろず屋ダイアリー

健常者もどきの20代♂による雑記

自己暗示のためにも、いっちょまえな記事を書く


f:id:kamigami000bond:20180120143205j:image

 僕がよく閲覧するブログの記事だが、大抵は「他人のクソバイスはスルー」、「比較せずありのままの自分を受け止める」、「クズでも死ななくていい」といったものだ。

 

 実際、僕もそれらと似たような記事を書く。自分の頭の中に思い浮かんだものをなんとか文章にしている感じだ。正直言葉の羅列だけで、感情や思いがほとんど篭ってないと思う。

 

 別に僕自身、人にちょっとしたアドバイスがしたいと思って記事を書いているわけではない(記事によってはそういうのもあるだろうが…)。

 例えば「他人はあなたの責任を取れない」という記事を書いているとき、僕の脳内では「だからこそ他人の言いなりになって自分を見失っちゃいけない」という意識がインプットされている。

 書き終わってから、後からその記事を見返すことでその内容を思い出す。それによって自分が常にそういう行動を取れているか再確認している。

 

 要するに僕にとってブログというのは、気持ちを吐き出す場所であるのと同時に、自己暗示のためのメモ帳みたいな役割も担っている。

 

 

周りの人に合わせるのを諦めたことで、一気に健康的になった

 僕も普通の人に比べると、能力面で遥かに劣っていると思う。人の言うことがよく理解できなかったり、手先も不器用だったりで何から何までデメリットマンだ。結果的に、人にあれこれ言われて行動するよりも、単独の方がまだマシなんじゃないかと思うくらいだ。

 

 今までは一般人のフリをすべく、行動力も忍耐力も従順力も全て彼(彼女)らに無理やり合わせてきた。合わせられないなら社会に出てやっていけないんだと思っていた。

 

 そんな強迫観念みたいなものに取り付かれた結果として、僕は大きく疲弊してしまい、そもそも自分が何をしたかったのか分からなくなっていた。自分の中で「やりたいこと」だったものも、本当は「やってもいいこと」と分かるのにかなりの時間がかかった。これらは多分周りに合わせてきた後遺症みたいなものだと思っている。

 

 無理やり合わせてきたのだから、決意も覚悟も中途半端感丸出しだった。普通に取り組めば理解できるものも、周りの目線を気にし、光速の速さで頑張ろうとしてきた。動きも光速どころか気持ちも光速になってしまい、何かに躓いたときにはテンパりまくった。

 

 そして最近になって、自分は周りに合わせられないんだと諦めるようになった。そうした途端に生きるのが遥かに楽になった(気がする)。周りは意識せず、まず自分のペースで仕事をこなせるかを徹底的に意識すれば、思いのほかできたし、周りも僕を罵倒してくるなんてこともほとんどなかった。もしも罵倒されたら、「それで殺されたり監禁されたりなんて100%有り得ないだろ(笑)」とか「家に火炎瓶放り込まれるわけでもなし!!」と開き直ることにしている。

 

 家族や元友人たちからはよく「もっと早く動け!」と言われて、その度に内心はビクビクしていたし、早く動いた分だけ作業が中途半端に終わる。

 周りの人たちは僕が早く動いたところだけを見て「よし、早く行動できたな(^-^)/よしよし」と言葉を述べるだけだった。

 取り掛かっていたものは全て未完成に終わり、表面上は一般人の中途半端な人間の完成である。これでは周りの人の人生を生きた哀れな人である。

 

 この生き方だと周りを気にする分、ストレスも多くなるので健康に悪い。健康に過剰な自信がある人なら推奨できるが、そんな人まずいない。

 

 

まとめ

 ブログを始めてからというもの、言いたいことを発信できるだけでなく、記事を通して自身の目標も掲げられることにも気付いた。「犯罪とかじゃなければ、無慈悲な人の目線なんてスルーしろ」といった記事を書いて、その記事を自身の目標とする。

 

 自己暗示のためのメモ帳代わりに結構向いているなと最近思っている。ブログで金を稼ぐことができれば文句ナシなのだが、到底叶わないことだと思っている。これからもこういうかたちでブログを書いていきたい。