よろず屋ダイアリー

健常者もどきの20代♂による雑記

視野だけ広げても無駄 そこから何もしなけりゃまた狭まるだけ


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視野が狭くなると、人の思考は窮屈なものになる。だからこそ客観的な意見が必要になってくる。

 

 

 

学校で例えると、いじめられて何日も不登校になってしまったから人生終わり…という人に対し、

 

「高卒認定試験もある!」

 

「とりあえずフリースクールとかに行って、同じ境遇の人と繋がろう!」

 

「最近では家でも勉強できる!自分にとって強みになる資格を取ろう!!」

 

など、そういった客観的な意見は当事者にとって貴重である。極度に狭まった視野を広げない限り、柔軟な発想なんて何一つ浮かんでこない。

 

 

視野だけ広げるのは結果的に無意味

 

思考が狭窄的になったら、視野を広げるためにいろんなことをすべきである。

 

 

 

海外に行くとか、屠殺場の見学に行くとか、全く知らない分野のものに手を出すとか、思考を硬直化させないための手段はいっぱい世の中に溢れている。

 

 

「タイって日本と似たような感じだけど、よく見たら大違いだし、屋台とかバイクタクシーとか、日本じゃまず経験できないものが多いね!」

 

「フォアグラって、あんな残酷な手法で作られてたんだ…!そんな事実に一切目を配らず、パクパク食べてた私たちって一体…」

 

「とりあえず金髪にしたり、ヒゲ脱毛とかトライしてみますわ!」

 

 

とりあえずそれらを経験してみるものの、それらを成し遂げた後はどうするつもりなのか。また自分の殻に閉じこもるのだろうか。

 

で、閉じこもって視野が狭くなれば、また別のことをして視野を広げ、殻に閉じこもり視野を広げ、殻…

 

 

 

 

 

変わらなくないか…??????????

 

 

 

 

 

視野ばかり広げても、結局は同じところを延々と周回するだけだ。それだと何もしていないのと同じだ。

 

慢性的な炎症に襲われているときに、薬を飲んで一時的に症状を押さえても、炎症の根本的な原因を断たない限り、また再発するだけなのだ。

 

“視野を広げるだけの行為”も別に悪いことではないかもしれない

 

視野を広げるというのは、狭窄的になっている自分の思考をほぐすということ。 

 

 

 

外部からの情報や刺激を取り入れたりすることで思考の幅を広げるのだが、それだけで終わってしまえば、また狭まっていくだけである。

 

 

 

外部から手にしたものを、自分の中にしっかり吸収しなければ、本当の意味で視野が広がったとは言えないんじゃないか?

 

 

 

 

さっき僕が提示した例で言うと、

 

 

 

イを旅行したのなら、それ関連の書籍を読んだりタイ語を勉強したりして、もっとその国に対する理解を深める。

 

をいただいているという実感ができたのだから、残さず食べるという習慣を身に付ける。

 

のファッションについても徹底的に調べ上げ、どうすればモテるのか熟考してみる

 

 

 

みたいな感じで行動できれば文句ナシだが、なかなかそうはいかない。

 

 

だが終始、視野狭窄→→視野拡大→→視野狭搾→→視野拡大の繰り返しで人生が完結するのも別に悪いことではないと思う。

 

 

 

もしかすると人の一生なんてこんな感じなのかもしれない。

 

新しいものが手に入ればラッキー。そうでなくともストレス発散だと割り切れば案外楽かもしれない。

 

まとめ

 

 

狭まった思考をほぐすために、外部から新しい情報を得ることは重要。

 

しかしそれだけでは意味がない。外部の情報をしっかりと吸収すれば、思考が広がった状態を維持できるということ。

 

吸収できずとも、狭窄的な考えをする時間が減ったのなら、これはこれで問題ナッシング…かな?